明治の牧之原開拓エピソード
牧之原開拓幕臣のリーダー中條景昭
明治8年山岡鉄舟が牧之原の開墾地にやって来て、中條に「神奈川県令をつとめて欲しい」と推薦状を持参。
中條は、「わしはこの地のお茶の肥やしになる覚悟で開拓に取り組んでいるのでござる」と.,.。
「今、わしがこの地を見捨てたら同士の皆は離散するであろう。」
「人に推挙されて栄達の道を選んだとしても、農事に追われる身になったとしても人間の値打ちや生死にどれだけの差があるだろうか。太平の世になれば尚更のこと、徳川武士としての生きざまを全うすべきは、『二君に仕えず』ではなかろうか」
雑木を切り倒し松の根を掘り起こす過酷な開墾と貧困に耐え、牧之原台地を日本一の茶産地にすることを夢見て、刀を鍬に替えても侍の誇りと忠誠心を持って日々戦っていたのでしょう。
ご先祖さま「山本惟鎮」(これやす)は、19歳という若さで入植し、妻やすとともに頑張ってくれたおかげで、茶で生かされている今の自分と家族があります。
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